菊竹清訓
昨年暮れ12月26日に亡くなられていたとの訃報を目にする。享年83歳。スティーブ・ジョブス、荒井勝祥、柳宗理、そして菊竹清訓、次々とこの世を去っていく。彼らは浄土でもご活躍であろうか。
しかし浄土は人口増加一方だけれども人口密度的には大丈夫なのかと変な心配をしてしまうが、いや、そのために輪廻するのだろうと思い直す。つまりは現世・浄土の総人口は常に変わらないのであろう。
謹賀新年
高校の友人十数名とスカイプで奇妙な会話をした後(6畳一間の狭い部屋で独りPCに向かってぶつぶつ言うのはやっぱり滑稽だ。)、トーキョーでの初の独り年明けをどうしようかと思案。家に居てもつまらないと思い、裏のコンビニの駐車場で迎えることにした。午前0時、薬王院の鐘の響きを聴きながら、新年を迎える。客ゼロの店内を見ると彼らはオメデトウの挨拶もなしに黙々と働いている。辺りはしんと静まりながらもタクシーの運ちゃん、警察のあんちゃんもしっかりと仕事をしている。目を瞑ると静まり返った闇の中、鐘の音のみが身体に響く。こういう時には平安の闇に戻れるのか。無性に詣でたい気持ちに駆られ、氷川神社へ足を運ぶ。(何故人はこんなにも祈りを捧げたくなるときがあるのだろうか。) 境内に近づくとトントン、ピーヒャラと何やら音が聴こえる。大勢の人だかりを抜けると、舞台の上で舞うお多福。脇で3つの太鼓と横笛が奏でられる。そして演目は次々と繰り広げられ、お多福、稲荷、獅子が舞う。暗闇の中の舞いはとても妖艶だ。賽銭には大行列ができ道まではみ出す。様々なハレの光景に鉛筆を走らせ、よいスケッチを十点程得る。帰り道に除夜の鐘の鳴る薬王院伽藍外からお祈り。なかなかよい新年を迎えられた様に思う。
今年は申し訳ないですが年賀状出せません。時間がないというよりはお金がない。(ぼくの今月の生活費はほぼ書籍代に消えてしまった!) ですからこちらで失礼致します。改めまして、明けましておめでとうございます。
2012年元旦 佐藤敬拝
まぁでも
ぼくには磯崎的な論理的な文章を書ける訳もないので、面白い小説かエッセーぐらいになればそれでよい。それにしても磯崎さんの文章は装飾が少なく無駄がない。一言一句洩らせないので読み込むのに本当に集中力を要する。構成も巧みである。
年の瀬
とても気持ちのよい空のもと今年の最終日を迎えられそうだ。家のなかにある植物クンたちは久しぶりに外に出て日光浴を始めた。彼らは自ら行水できなく、水くれとも言えないので何とも可哀想である。ぼくは何だか墓石に水をかけている様な気分になり、ゴメンと呟く。でも彼ら久しぶりの陽光とても気持ち良さそうだ。